课文一 東京ラブストーリー
《東京ラブストーリー》是日本富士电视台1991年推出的电视剧,获得了空前的成功,成为日本新式偶像剧的开创先河,被认为是日本电视剧里程碑式的新型剧种。从此之后,以富士电视为首的各电视台一改过去老剧说教式手法,以贴近普通人的生活为中心,十年来创作出一大批优秀的影视作品。《東京ラブストーリー》中文译为《东京爱情故事》,是日剧的教父级大作,精彩至极。这部日剧由柴门文著名的漫画改编,深刻地描绘了都市男女的爱情故事,写实而感人。此剧不但在日本造成轰动,在港台、内地播出时也风靡一时。尤其是铃木保奈美饰演的莉香可爱迷人、活泼开朗,令人难以忘怀。此剧对于铃木保奈美来说具有重大意义,是她的成名作。她当初正是依靠此剧在13年前一跃成为当时的日本首席女星。“莉香旋风”席卷了亚洲各国,莉香的微笑征服了一代人的心,也影响了一代人的爱情观。男主角织田裕二也因此片而走红亚洲。而另一男主角江口洋介是日本偶像歌手及演员,他在剧中扮演的浪漫情人,风流倜傥,迷倒了千万少女,而长发披肩的形象也成为潮流,亚洲青年男性争相仿效。
第一幕
(完治约莉香去吃饭,但到关店时完治也没来。莉香一人在雨中苦苦等待,完治从远处跑来)
リ カ:完治、よかった。仕事伸びて来るの遅れちゃった。完治は帰っちゃったのかと思って。
完治:ずっと待ってたの?
リ カ:結構待ったと思う。私、ほら、時計持ってないから、さあ、時間分かんないし、今、何時ごろ。わあ、もうこんな時間。良かった。銅像なんなくて、私が銅像になったらさ、皆、待ち合わせに使ってくれるかな、忠犬リカなんて、帰っちゃおうかなと思ったんだけど、完治がおごってくれるなんて一生に何度あるか分かんないし、さ、これ逃したら、夜、枕元にもったいないお化けが出るかもしれないなんてさ。
完治:とにかく、どっか店入ろう。
リ カ:もうだめ、ここまで。電池切れちゃったみたい。こんなに側にいるのにね、こんなに遠く見える。なんでかな。来てくれてありがとう。嬉しい。本当だよ。ジーンときた。なんなんだろう。なんでこんな。一緒にいたいのに、なんでかな。
第二幕
(深夜,莉香给失恋的完治打电话,来安慰他)
リ カ:私、寝てた。
完治:寝てました。
リ カ:元気?
完治:こんな時間、元気なのは、君とコンビニぐらいなもんだよ。
リ カ:残念、私も元気ないのでした。
完治:なんで。
リ カ:完治が元気ないから、後悔してる。里美ちゃんとのこと。
完治:ぜんぜんしてないっつったら、嘘になんだろ。俺を尊敬してくれたのに、こっちから諦めちゃんだからさ。
リ カ:そこが完治の良いとこだよ。里美ちゃんの気持ち一番に考えてあげて。
完治:そんな立派なもんじゃないよ、ただ振られたってだけ。
リ カ:恋愛はさあ、参加することに意義があるんだから、たとえ駄目だったとしても、さあ、人が人を好きになった瞬間って、ずうーとずうーと残ってくものだよ。それだけが、生きてく勇気になる。暗い夜道を照らす懐中電灯になるよ。
完治:そんな慰めんなよ。
リ カ:頑張れ、私も頑張る。
第三幕
(出差归来的莉香和完治下班后,一起出来互叙离别之情)
リ カ:そんなに私のことが好きなんだ。うん、知らなかったな。あ、そう、けどね、私の気持ちってものもあるし、そう簡単には両想いにはなんなよ。
完治:頑張る。
リ カ:夜中に寂しい時、飛んできてくれる。
完治:飛んでく。
リ カ:ヒマラヤの天辺から電話したら、迎えに来てくれる。
完治:迎えに行く。
リ カ:あたたかいおでん持ってきてくれる。
完治:屋台ごと持ってく。
リ カ:ビートルズのコンサートを家で開きたいって言ったら、
完治:連れてくる。
リ カ:ジョンはどうすんの。
完治:俺が代わりに歌う。
リ カ:魔法を使って、この空に虹かけてって言ったら、
完治:それはできないかもしれないけど、
リ カ:じゃ、だめだ。
完治:でも、魔法だったら使える。
リ カ:どんな?(完治走到莉香跟前,轻轻地吻了莉香)好き、好き。
完治:あ。
リ カ:愛してるって言って、
完治:愛してる。
リ カ:名前をつけて言って、
完治:愛してる、リカ。
リ カ:愛してるよ、完治。
第四幕
(莉香精心地为完治准备了生日晚餐,在吃生日蛋糕之前,完治骗莉香,说遇到客户了才回来晚了)
完治:どうした。
リ カ:どうして嘘をつくの。完治似合わないよ、嘘つくの似合わないよ。嘘は、嘘だけはいや、こんなの嫌だよ。
完治:リカ、待ってよ。リカ、リカ、おい、待ってよ。
嘘をついたのは、
リ カ:私、こんなだけどさ、こんなだけど、完治を好きになった私、ちょっと気に入っているんだ。
完治:リカ、
リ カ: 悔しいよ、悔しい。完治、気持ちは一つしかないんだよ、二個はないんだよ。どこに置いて来ちゃったの。二十四時間好きって言ってて、仕事してても、友達と遊んでても、完治の心全部で好きって言ってて。ちゃんと捕まえてて、私だけを見てて、でなきゃ、余所に行っちゃうよ。
课文二 世界の中心で愛をさけぶ
2004年,片山恭一的小说『世界の中心で愛をさけぶ』(《在世界的中心呼唤爱》)在日本的发行量超过了村上春树的『ノルウェイの森』(《挪威的森林》),成为最畅销小说。日本TBS电视台将其小说改编后搬上电视屏幕,于7月2日上映,并获得了极大的成功。该剧在日本第42回日剧学院奖中一举拿下了九个奖项,成为2004年夏季档日剧中的最大赢家。该剧成为日剧学院奖开设以来获得奖项仅次于《悠长假期》和《美丽人生》的日剧。男主角由曾主演《水男孩》之后人气大涨的山田孝之担当,而从723名候选人中脱颖而出的绫濑遥香扮演剧中的女主角。剧中其他角色也都由如绪形直人、三浦友和等大家耳熟能详的演员扮演。出色的小说原著再加上强大的演出制作阵容,能拿下如此之多的奖项也算是实至名归。它是一部能让你深深感动,永久不能忘怀的剧集,它的成功不仅借助于原著小说的畅销,更大的成分在于它清新唯美与感伤怀念的荧屏叙述风格,能够在日见低迷的日剧河流中开辟一条纯爱的清流。
剧情介绍
2004年,34岁的松本朔太郎收到高中老师寄来的明信片,将他封闭17年的记忆带回到了17岁的那个夏天。1987年,高中时代的朔太郎和广濑亚纪的恋爱非常甜蜜,他们共同谱写着纯洁的爱情故事。但自从亚纪得了白血病后,两人的爱情受到了更大的考验,他们一起手牵着手,心连着心对抗病魔,艰难地走过每一天。但事实毕竟是残酷的,在朔太郎带着亚纪去澳大利亚乌鲁鲁,想要完成亚纪最后的愿望时,亚纪却在机场晕倒。虽然这是一个永远改变不了的事实,但失去亚纪的朔,对人生及爱情产生了永远的失落感。
第一幕
朔太郎:松本朔太郎です。この間,ごめんなさい。だけど,分かって欲しいこともあって,あれは俺にとって本当に一番切ない話だったんだ。俺は廣瀬がいなくなるのが何よりも一番切ない。もし許してくれるなら,今日の放課後,あの場所に来てください。
亜 紀:ばーかッ!あの場所じゃ分かんないでしょう。
朔太郎:ごめん、俺……
亜 紀:それ返す。
朔太郎:何で?
亜 紀:いいから,聞いて!
亜 紀:廣瀬亜紀です。今日は私の好きなものについて話します。第5位,たこ焼きパパさんの前でこそこそ葉書を書いている松本朔太郎。第4位,ガムの玩具で騙される人の良い松本朔太郎。第3位,いつもいつも鍵をなくしてもぞもぞしている松本朔太郎。第2位,ジュリエットをやめたらと言ってくれた松本朔太郎。
朔太郎:あの。
亜 紀:第1位,あの日傘を差しかけてくれた松本朔太郎。好きよ。サクちゃん,大好きだよ。ありがとう。
朔太郎:亜紀は今まで最高の誕生日だと言ってくれた。僕もそんなことを言われたのは初めてです。そして,これが亜紀の最後の誕生日になった。
第二幕
亜 紀:ね,あの世って信じる?
朔太郎:信じたいとは思うけど。
亜 紀:そっか。
朔太郎:亜紀は?
亜 紀:信じられないな。
朔太郎:何で?
亜 紀:それって,やっぱり残された人達が作った世界のような気がする。存在してほしいって願う世界っていうか。
朔太郎:亜紀は神頼みとかもしなさそうだもんね。
亜 紀:でも,神様はいないと困るよ。
朔太郎:どういうこと?
亜 紀:ラッキーとアンラッキーをコントロールしないと。
朔太郎:何,それ?
亜 紀:すごく幸せだった人はすごく不幸になったりとかするじゃない?どんな人生も結局プラスマイナスゼロになるようになってる気がしない?
朔太郎:それを調節するのが神様ってこと?
亜 紀:そう,サクちゃん。私ね,何してんの?
朔太郎: 今,俺のプラス分亜紀に回しといてもらったから,俺,別にマイナスでもいいし,亜紀の方が叶えたい夢とかいろいろありそうだしね。
亜 紀:好きよ,サクちゃん。
亜 紀:すごい。蛍ってさ七日間しか地上にいないんだよ。こんなの見れるなんてどのぐらいの確率なんだろうね。幸せだなあ,私。何でこんな幸せなんだろ。もう何かさ,何かあるんじゃないかと思っちゃうよ。誰かが病気になったりとか,誰かが死んだりとか,もう本当何かあるんじゃないかなあ。
朔太郎:ないよ,そんなこと,絶対にないから。
第三幕
亜 紀:サクちゃん,皆をエレベーターまで送ったとこ。面白かったよ。すごいすごい面白かった。いっぱい笑って。
朔太郎:泣きそうになった。だけど,泣いてはいけないと思った。僕は泣くときっと亜紀が思い切り泣けなくなるから。
朔太郎:もう一回呼んで,サクちゃんって。
亜 紀:サクちゃん。
朔太郎:もう一回
亜 紀:サク
朔太郎:もう一回
亜 紀:サク,サクちゃん。
朔太郎:この声のためなら何でもしようと思った。
亜 紀:何でテープ返してくれなかったの。
朔太郎:ごめん。
亜 紀:あたしずっと前のテープ聞いてたんだよ。
朔太郎:ごめん。
亜 紀:学校の行事のほうが大事なの?浮気とかしてない?
朔太郎:もしも亜紀が笑えるなら,僕は一生笑えなくていい。もしも亜紀が泣きたいなら,僕は一生我慢する。もしも亜紀の代わりに死ぬと言われたら,喜んで死んでやろうと。あの日,僕は本気でそう思っていた。何一つ願うことはなかった。亜紀と一緒に灰になったのは僕の心だった。
第四幕
亜 紀:サクちゃん,何かを失うことは何かを得ることだって分かる?きっと前の私だったら,今日のこと,ここまで喜べなかったと思ってさ。今度はもうちょっと元気になって,サクちゃん家の朝ご飯も食べてみたいな。おはようって言う。それが今の夢かな。
朔太郎:じゃ,朝一で皆で飯持って出張しようか?
亜 紀:そうやって,すぐ茶化す。
朔太郎: きっと前の僕だったら単純に喜べたことが悲しくなる。世界を飛び回りたいと言っていた亜紀が家に来ることを夢だと語る。多分現実を受け入れていくとはこういうことなのだ。だけど,それすら心のどこかで声がする。そんな未来はあるのだろうか。
亜 紀:大丈夫だよ。サクちゃん。夜は必ず明けるんだよ。
第五幕
朔太郎:亜紀,何やってたんだ?おい,亜紀,何考えてんだよ。落ち着けって何やってんだよ。
亜 紀:今死んだって同じじゃない?どうせ死ぬんだったら,何で辛い治療を受けなきゃいけないの。皆卒業して,社会に出て,結婚して,そういうの横目で見ながら暮らすんだよ。羨ましがって僻んでかわいそうねって言われて,良いことなんか何にもないのに,惨めに良いことを捜して,私,そうやって暮らすんだよ。一生だよ。何で私だけそんな目に遭わなきゃいけないの!何で?私が何したっていうの!
朔太郎:治るかもしれないだろ!
亜 紀:気休め言わないでよ。
朔太郎:何で悪いことばっか考えたんだよ。
亜 紀:サクちゃんだって思ってるくせに。私が死ぬって思ってるくせに!
朔太郎:そうだよ。思ってるよ!思っちゃうよ!だけど,俺の知ってる廣瀬亜紀は鼻血出ても保健室行かないんだよ。雨の日でも一人で弔辞読むんだよ!白血病でも自己ベスト更新すんだよ!誰よりも負けず嫌いで,上昇志向の塊みたいな父親と強がりで優しい母親から生まれて,恐竜みたいに逞しく育てって言われて,だから,俺は廣瀬亜紀を信じる。だから,絶対に裏切るなよ。
亜 紀:はい,はい。
朔太郎:だけど,僕はまだ知らなかった。信じることは闘いだということは,僕はまだ知らなかった。明けない夜明けはないけれど,目覚めなければ朝は来ないということを,目覚めていても明けない夜もあることを……
§§§第四节 诗歌
引言
日本诗歌从古代开始,短歌形式的文学最为发达,后来发展为连歌、俳谐、俳句进而发展到近代新体诗和口语自由诗,迄今不衰。日语音节、音调单纯,诗的形式不具备押韵的条件,因而日本诗歌极易与散文混同,形成散文诗化。日本诗歌总体有以下特点:
一、小巧的、抒情性的、非叙事性的
日本古典诗歌主要是小巧的、抒情性的、非叙事性的。古典诗歌的基本形式和歌、俳句都非常短小,根本不具备叙事功能。所以日本没有真正的叙事诗。日本古典诗歌的抒情方式是日本人独有的,其特点是感受性、情绪性、柔弱性、淡雅性。诗人们只是抒发对客观外在事物的一种感受。这种感受是细腻轻柔的,决无阿拉伯诗歌的那种粗犷狂放,也无中国诗歌所推崇的“风骨”精神。
二、非说理性、无逻辑性和无思想性
止于表现感受的诗歌,自然导致了诗歌本身的非说理性、无逻辑性和无思想性。日本古典诗歌中没有哲理诗、格言诗,诗人从不把说明、表达某种思想作为写诗的任务和目的。日本诗歌只是写一景致或表达一种感受,这只相当于中国诗歌中的“比”、“兴”的部分。
三、超现实性、消遣性和唯美倾向
无思想性又导致了日本古典诗歌具有很强的超现实性、消遣性和唯美倾向。日本诗人们一直努力地使诗与现实保持最大限度的距离。日本诗人们甚至也不在诗歌中直接地披露和反映自己。他们把写作和歌看成是一种艺术修养,一种高雅的怡情养性的消遣,所以,历代诗人们关心和讨论的不是诗与现实、诗的思想内容等问题,而只是一些在我们看来是属于艺术形式方面的问题。因此,在某种意义上可以说,日本的古典诗歌是一种高级的语言艺术游戏。
四、题材的单纯性
与无思想性、超现实性、消遣性和唯美倾向相联系的是题材的单纯性。日本诗歌的题材绝大多数无非是四个季节、风花雪月、生死离别、恋爱应酬之作,其他题材极不受重视。“贞门俳谐”企图扩大题材范围,想以日常生活入诗,结果反而导致庸俗化和非艺术化。可见,题材的单纯是由日本和歌的独特的审美特质所决定的。
因此,在翻译日本诗歌时,将这些特点熟记于心是十分必要的。
课文一 千曲川旅情の歌
島崎藤村
一
小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も藉くによしなし
しろがねの衾の岡邊
日に溶けて淡雪流る
あたゝかき光はあれど
野に滿つる香も知らず
淺くのみ春は霞みて
麥の色わづかに青し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ
暮れ行けば淺間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飮みて
草枕しばし慰む
二
昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪
明日をのみ思ひわづらふ
いくたびか榮枯の夢の
消え殘る谷に下りて
河波のいざよふ見れば
砂まじり水卷き歸る
嗚呼古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
過(いに)し世を靜かに思へ
百年(もゝとせ)もきのふのごとし
千曲川柳霞みて
春淺く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて
この岸に愁(うれひ)を繋(つな)ぐ
课文二 椰子
島崎藤村
名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ
故郷(ふるさと)の岸を 離れて
汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき)
旧(もと)の木は 生(お)いや茂れる
枝はなお 影をやなせる
われもまた 渚(なぎさ)を枕
孤身(ひとりみ)の 浮寝(うきね)の旅ぞ
実をとりて 胸にあつれば
新(あらた)なり 流離(りゅうり)の憂(うれい)
海の日の 沈むを見れば
激(たぎ)り落つ 異郷(いきょう)の涙
思いやる 八重(やえ)の汐々(しおじお)
いずれの日にか 国に帰らん
课文三 もし
もしあなたがとりだったら、
そらをとぶのは
どんな気持ちだろう。
とりになったつもりで
からだをうごかして、
こころのなかで、
そらをとんでみよう。
さあ、何がみえる?
どんなおとがきこえる?
ひとはとりのように
そらをとぶことはできない。
けれどひとはおおむかしから
そらをとぶことをゆめみたり、
かんがえたりはなしたり
かいたりしてきた。
そうしてやがて
ひとはひこうきをはつめいした。
もしあなたがせんせいだったら、
なにをしたい?
もしあなたがいしころだったら、
どんなかんじ?
课文四 木
木は黙っているから好きだ。
木は歩いたり走ったりしないから好きだ。
木は愛とか正義とかわめかないから
好きだ。
ほんとうにそうか
ほうとうにそうなのか
見る人が見たら
木は囁いているのだ ゆったりと静かな声
木は歩いているのだ 空にむかって
木は稲妻のごとく走っているのだ 地の下へ
木はたしかにわめかないが
木は愛そのものだ
それでなかったら小鳥飛んできて
枝にとまるはずがない
木は正義そのものだ
それでなかったら地下水を根から吸い上げて
空にかえすはずがない
若木 老樹
ひとつとして同じ木がない
ひとつとして同じ星の光のなかで
目覚めている木はない
木
ぼくは君のことが大好きだ。
第十六课 演讲稿的翻译
引言
演讲稿也叫演说辞,它是在较为隆重的仪式上和某些公众场所发表的讲话文稿。
演讲稿是进行演讲的依据,是对演讲内容和形式的规范和提示,它体现着演讲的目的和手段,演讲的内容和形式。演讲稿是人们在工作和社会生活中经常使用的一种文体。它可以用来交流思想、感情,表达 主张、见解;也可以用来介绍自己的学习、工作情况和经验……等等;演讲稿具有宣传、鼓动、教育和欣赏等作用,它可以把演讲者的观点、主张与思想感情传达给听众以及读者,使他们信服并在思想感情上产生共鸣。
演讲和表演、作文有很大的区别。首先,演讲是演讲者(具有一定社会角色的现实的人,而不是演员)就人们普遍关注的某种有意义的事物或问题,通过口头语言面对一定场合(不是舞台)的听众(不是观看艺术表演的观众),直接发表意见的一种社会活动(不是艺术表演)。其次,作文是
作者通过文章向读者单方面的输出信息,演讲则是演讲者在现场与听众双向交流信息。
严格地讲,演讲是演讲者与听众、听众与听众的三角信息交流,演讲者不能以传达自己的思想和情感、情绪为满足,他必须能控制住自己与听众、听众与听众情绪的应和与交流。所以,为演讲准备的稿子就具有以下三个特点:
第一、针对性。演讲是一种社会活动,是用于公众场合的宣传形式。它为了以思想、感情、事例和理论来晓喻听众,打动听众,“征服”群众,必须要有现实的针对性。所谓针对性,首先是作者提出的问题是听众所关心的问题,评论和论辨要有雄辩的逻辑力量,要能为听众所接受并心悦诚服,这样,才能起到应有的社会效果;其次是要懂得听众有不同的对象 和不同的层次,而“公众场合”也有不同的类型,如党团集会、专业性会议、服务性俱乐部、学校、社会团体、宗教团体、各类竞赛场合,写作时要根据不同场合和不同对象,为听众设计不同的演讲内容。
第二、可讲性。演讲的本质在于“讲”,而不在于“演”,它以“讲”为主、以“演”为辅。由于演讲要诉诸口头,拟稿时必须以易说能讲为前提。如果说,有些文章和作品主要通过阅读欣赏,领略其中意义和情味,那么,演讲稿的要求则是“上口入耳”。一篇好的演讲稿对演讲者来说要可讲;对听讲者来说应好听。因此,演讲稿写成之后,作者最好能通过试 讲或默念加以检查,凡是讲不顺口或听不清楚之处(如句子过长),均应修改与调整。
第三、鼓动性。演讲是一门艺术。好的演讲自有一种激发听众情绪、赢得好感的鼓动性。要做到这一点,首先要依靠演讲稿思想内容的丰富、深刻,见解精辟,有独到之处,发人深思,语言表达要形象、生动,富有感染力。如果演讲稿写得平淡无味,毫无新意,即使在现场“演”得再卖力,效果也不会好,甚至相反。
课文一 日中常駐記者交流40周年記念シンポジウムにおける原田親仁駐中国日本国特命全権公使のあいさつ
尊敬する趙啓正国務院新聞弁公室主任
尊敬する劉徳有先生、駱為龍先生
尊敬する大越幸夫さま、横堀克己さま
御列席の御来賓の皆様
(序)
日中記者交流40周年の節目[1]の年に、このように関係者が集まる機会を、中国国務院新聞弁公室主催で設けていただき、参加できることを光栄に存じます。
(過去40年の評価)
過去40年の間に、取材活動に従事された皆様を目の前にして、あらためて、この40年間の日中関係の発展と、関係者の方々の御苦労に思いを馳せているところです。
この40年の間に、皆様がどのように仕事をされてきたかについては、今日御参加されているシャーナリストの皆様から後ほどお話があると存じます。また、本日残念ながら御参加されていない方々も、多大なる御尽力御苦労をされたことと思います。
従いまして、私からは、過去40年間にいろいろあった出来事について、この場で詳しく述べることはいたしませんが、過去40年間の激動の中で、関係者の皆様の御活動を高く評価したいと思います。
戦前、日本が国策を誤ったことの反省の上に、日本政府及び日本国民が戦後の新しいマスコミの活動を、強く支持してきたことは、あらためてこの場で特筆に値すると思います。そして戦後約60年の間、日本の民主化という大きな変革において、自由で客観的な報道を行ってきたマスコミは非常に大きな役割を果たしてきました。
ジャーナリストの皆様の戦後の活動は、日本の民主主義と平和主義、国際協調と善隣友好の外交政策を支えてきたものです。これは日中関係の文脈でも、相互理解と相互信頼を増進するという重要な役割を果たしてきました。
マスコミの活動や、人的交流の拡大もあり、日中間で行き交う情報も、飛躍的に増大しました。このことをまずは率直に評価したいと思います。
(今後の課題)
他方、マスコミが果たすべき役割は今後とも大変大きく、その課題は複雑なものがあります。
日中間の交流は拡大し、相互についての情報量は増大しました。しかし、日中間の相互理解は未だ十分ではありません。
日本人が中国について受け取る情報と、中国人が日本について受け取る情報との間には、齟齬も存在しています。また、インターネットなどを通じて断片的な情報は多く行き交っていても、それを総合して、相手を全体として正しく理解することには十分に至っていない面があり、そのための双方の努力がさらに必要です。断片的な情報を基に、極端な意見が、特にインターネットの場で多く現れています。このような傾向に対処するためには、マスコミを通じて客観的事実に基づく、総合的な理解が育まれる必要があります。
多数行き交っている情報を、受けてである国民が無条件に受け取るのではなく、批判的に吟味し、正しい情報をより分け、総合的に判断するという能力も必要です。
日中は、文化を多く共有していますが、同時に、文化、習慣等における大きな相違もあります。そのような中で、ステレオタイプ的な主張と思いこみがあればそれを助長、再生産するのではなく、それを是正することが重要です。ある現象について、報道がなされても、何故そうなのか、という、文化、社会、習慣面などにまで掘り下げた冷静な分析も加えた報道によって、バランスのとれた理解が得られるものと思います。
(日本大使館と日本政府の努力)
マスコミがその重要な役割を果たすためにも、日本政府と日本大使館は、ジャーナリストの皆さんの仕事を支援すべく様々な方策を講じており、その一例を紹介したいと思います。
まず、中国のジャーナリストの皆さんが日本及び日中関係について情報を得、理解を深めるために、大使館のウェブサイト、日本論壇にっぽにあ、大使館ニュースレターなどの資料を通じての中国語による情報発信を積極的に行っています。日本に常駐している中国のジャーナリストの活動を支援し、また日本を訪問したことのない中国のジャーナリストを積極的に日本に招待しています。また、日本大使館では、ジャーナリストの皆さんを対象に、日本の経済、政治、文化、教育、入国管理政策などについての説明会意見交換会等を、毎月数回実施しています。重要な外交行事がある際には、例えば北朝鮮に関する六カ国会合の際には、毎回、日本大使館はプレスセンターを設置して、日本及び外国プレスへの情報提供に努めています。中国のマスコミからのインターピュー依頼には、日本大使館は積極的に応じています。中国ジャーナリストの方々より、日本大使館は、この分野の活動で、在北京各国大使館の中でも、最も積極的な大使館の一つであるとの評価もいただいています。
日本のジャーナリストの皆さんが、中国国内で活動しやすいような環境を整えるためにも、中国側関係機関と協力しています。中国では、北京、上海、広州で80名もの日本人ジャーナリストが活動しています。また雑誌の分野にも目を広げれば、雑誌のコンテンツの分野での様々な協力や、日経BP社の北京事務所の設置など、日本のジャーナリストの活動の場と分野が一層拡大しています。
中国では、マスコミ分野にも、市場経済化と、改革開放の波が押し寄せてきています。市場経済化の中で、広告収入宣伝と通常の記事執筆との関係を如何に区別するかという報道倫理の確立の問題なども、新しい重要な問題として現われてきています。ジャーナリストの養成も重要な課題です。この分野で、日本の経験を参考にしていただくために、本年秋には、日本ジャーナリストの専門家などを北京に招いて、各種の意見交換会を企画しているところです。